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スリランカのお葬式

スリランカ

2週間遅れのハロウィンレッスンも無事終了し、やっと気持ちも落ち着いたので、今回の突然のスリランカ帰省について書きたいと思います。

ちょっと長くなります。興味にある方だけお付き合いください。

今回は義父の葬儀のための帰省でした。

既に5年近く寝たきりでしたのでみんな覚悟はできていましたが、逆に5年も頑張ってくれていると、このままいつまでもいてくれるんじゃ?なんて錯覚してしまうんですね。

土曜日の夕方、夫から報告を受けた後、本当なのか?冗談なのか?しばらく状況が飲み込めずにいました。

台風も接近中だったので、上陸前に!と急いで飛行機を予約。翌日の朝、台風上陸前に無事スリランカへ向かい出発しました。

実家に着いた後は初めてのスリランカでの葬儀に私は右往左往の連続💦

話に聞いていた以上に大変でした💦

まずは火葬まで数日間、ベットのように全開になった棺桶の上に正装した遺体全体がむき出しの状態で自宅に安置されます。

真っ白なベットは色とりどりのお花や真鍮の装飾品、象牙で飾られ、まるで披露宴の高砂のよう。

ロウソクの炎が消えるように穏やかな最期だったと言われた義父の顔は眠っているようにとても穏やかで綺麗でした。

死者を1人にしてはならないとの事で葬儀が終わるまでみんなが交代で夜通し義父の傍にいるのでした。

親戚や故人、家族の友人、ご近所さんも夜通しひっきりなしに出入りするので家族はその対応に追われます。

死後8日間は死者の魂がまだこの世のにあると考えられているので、自由に出入りできるようにと家中のドア、窓、門までも全開にして過ごすのです。

そういった事情もあり、特に防犯、家族が夜少しでも眠れるようにとの配慮から、あえて夜(夜中)に来てくれる親戚や近しい友人もたくさんいました。

連絡をもらった土曜日夕方から、飛行機手配、子供達の学校保育園、教室のメンバーへの連絡、月末の諸々の支払い準備、荷造りで徹夜で出発した私でしたが、実家に着いてからも2日間はまともに寝られませんでした。

そして迎えた葬儀当日、12人のお坊さんをお迎えし、お経や説法、これまでの義父についてのお話がありました。

その後、火葬に向かうのですが、火葬場のある墓地が自宅からすぐなので、義父の乗った車を先頭にみんな徒歩で行きました。

スリランカのお葬式では仏教徒はみんな白を着るんですね。(クリスチャンは黒を着るようです)

火葬場に着くと、いよいよ義父とは最期のお別れです。大きな焼却炉前で再び棺を開けられると、皆それぞれ義父の身体に触れたり、声をかけたり。

本当にこれが最期でした。

 

火葬場から登る煙をみて「ああ、逝ってしまうのだなぁ」と…

 

私たちが生まれる前から政府の仕事で何度も日本に来ていた義父。

初めてお会いした時もとても陽気で「恭子サン、元気デスカ?」と日本語で気さくに声をかけてくれたり

「私ノ、オ腹ハ、イマ小サイデス。」とユーモアたっぷり空腹を訴えて来たり(本気で間違っていたのか?冗談だったのか?)

結婚式のため来日した時には既に発病後で、

「お前が日本に住むって知っていたら日本に家を1つ買っておいたのに…」

と漏らしていた義父。

ドイツの大学を途中で諦め帰国した夫に、すぐに日本に行くよう促し、その日のうちに書類を整え手配したのも義父でした….

だから私が夫に出会えたのは、義父のおかげなんですよね💕

 

 

その後7日目にピリットという説法?があり、8日目にダーネという布施?(12人のお坊さんに食事を振る舞いました)を行い、無事葬儀の一通りを終えました。

 

家族が悲しみに暮れないようにするためか?常に人が出入りし長くて忙しいスリランカの葬儀でした。

 

こんなバタバタで突然の帰省でしたが、イギリスの義妹一家も私たちと同日に一足先に到着。子供たち、孫たち家族が全員揃って義父を送り出すことができました。本当に良かったです。

 

みなさんからの温かいお言葉の数々にも感謝の気持ちでいっぱいです。

 

ありがとうございました🙏

 

日本、スリランカ、イギリスの子どもたちが3カ国語で集う様子については次でご紹介しますね

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